ここまで読んでくださってありがとうございます。
闘病記を書くに当たって、私の感情はなるべく出さないようにと心がけてきました。
事実をありのまま伝えたいと思ったのが理由です。
夫が脳腫瘍になって3年半、私の人生感が変わりました。
ここではそんな私の気持ちの移り変わりを書いてみたいと思います。
夫が脳腫瘍だと分かったとき、私は泣いてばかりいたのです。
私の中では脳腫瘍=死でした。
ネットで調べるのも怖くて検索すらしませんでした。
それはつい最近までそうでした。このHPを作るようになってようやく病気のことについてネットで調べたくらいです。
ガンマナイフ、水頭症、髄膜炎・・・次々と起きる出来事に私は混乱していました。
外で人を見れば、その人に視線を向け、「この人が病気になればよかったのに、どうしてうちなの?」と心の中で思うのです。「この人でもよかったじゃない、この人でも・・・」って。自分以外の人がみんな幸せそうに見えたのです。
毎日、仕事には行ってても家に帰れば泣いてばかり。。。病院で付き添ってる姑から夫の様子を聞いては泣き、思い出しては泣き・・・もう悲惨な状態でした。
それを見た夫の母が子供の前では泣いたらダメだと私に言いました
でも、我慢しようと思っても涙が出てくるのです。
そんな私を見て息子が「他の人の前で泣くと叱られるから、僕の前でだけ泣いていいよ」って 小学校3年生の息子が言うのです。息子には病気のことを全部話していました。
父親が入院して寂しくないはずがありません。
その日から私は泣かなくなりました。息子から何度助けられたことでしょう
頼りない母親です
今思えば、これも病気を受け入れるために必要なことだったのかもしれません
「偉いね」「がんばってるね」私はこの言葉が大嫌いでした
だって偉くなんかないから。記憶障害で何度も同じことを聞く夫に「いい加減にしてよ」とか「さっきも同じこと聞いたよ」とかひどいことを言ったこともあります。
ずっと不機嫌な顔をしてたときもあります。だから全然偉くなんかないのに・・・って
でも、私には愚痴を聞いてくれる友達がいました
職場には一緒に泣いてくれた友達がいます。手術が決まったと電話をしたとき職場の人2人でこっそり泣いたと後から聞きました
介護休暇の申請に「仕事のことは心配しなくていい」と言ってくれた課長
「仕事のことは大船に乗ったつもりで任せてください」と言ってくれた後輩
明日から休むと言う前日に帰ろうとする私を追いかけてきて「あんたががんばってることは見てれば分かるよ。いつも明るくして・・」と
涙をいっぱいためて、こんなことしかできないけどとお見舞いをくれた先輩
メールをくれる人もいます。「何もできなくて・・」って言うけどその気持ちだけでどれだけ勇気付けられたことでしょう。
ネット上の友達は「がんばらなくていいんだよ」「泣きたいときは泣いていいんだよ」と私が落ち着くまで話しを聞いてくれました。
私はたくさんの人に支えられているのです。
趣味でやっているゴスペルのリーダーのお父様が牧師さんで夫の病気のことを知り個人的に祈ってくださり、
「神は我々に試練を与えます。しかし、乗り越えられない試練は与えません。必ずや道は開けるでしょう」と
この言葉は私の胸の奥深くに染み込みました。
夫と私は22歳のときに私の親の反対を押し切って結婚しました。病気になるまでの12年間、本当に大事にしてもらいました。私はどちらかというと身体があまり丈夫じゃなかったので家事もしてくれたし、何よりも愛されているというのが伝わってきました。
だからという訳ではないけど、夫が病気になって辛いこともたくさんあるけど、離婚しようなんてことは1度も考えたことはありません。苦労してるねって言われるけど、苦労って思ったこともありません。
こうやって今までの自分の気持ちを書いてみると変化していってるのがよく分かります
その時は一生懸命で気づかないけど振り返ってみると分かるものですね
今は「この人が病気になればよかったのに」とは思いません。
みんな明るく振舞ってても、もしかしたら辛いことがあるのかもしれないと思ったりします。
表に出さないだけでたくさんのことを抱えてるのかも・・と
私も少しは成長したのかな?(^^;)
思いつくままに書いたので支離滅裂な文章になってしまいました
またときどきつぶやくかもしれません
闘病記を書くに当たって、私の感情はなるべく出さないようにと心がけてきました。
事実をありのまま伝えたいと思ったのが理由です。
夫が脳腫瘍になって3年半、私の人生感が変わりました。
ここではそんな私の気持ちの移り変わりを書いてみたいと思います。
夫が脳腫瘍だと分かったとき、私は泣いてばかりいたのです。
私の中では脳腫瘍=死でした。
ネットで調べるのも怖くて検索すらしませんでした。
それはつい最近までそうでした。このHPを作るようになってようやく病気のことについてネットで調べたくらいです。
ガンマナイフ、水頭症、髄膜炎・・・次々と起きる出来事に私は混乱していました。
外で人を見れば、その人に視線を向け、「この人が病気になればよかったのに、どうしてうちなの?」と心の中で思うのです。「この人でもよかったじゃない、この人でも・・・」って。自分以外の人がみんな幸せそうに見えたのです。
毎日、仕事には行ってても家に帰れば泣いてばかり。。。病院で付き添ってる姑から夫の様子を聞いては泣き、思い出しては泣き・・・もう悲惨な状態でした。
それを見た夫の母が子供の前では泣いたらダメだと私に言いました
でも、我慢しようと思っても涙が出てくるのです。
そんな私を見て息子が「他の人の前で泣くと叱られるから、僕の前でだけ泣いていいよ」って 小学校3年生の息子が言うのです。息子には病気のことを全部話していました。
父親が入院して寂しくないはずがありません。
その日から私は泣かなくなりました。息子から何度助けられたことでしょう
頼りない母親です
今思えば、これも病気を受け入れるために必要なことだったのかもしれません
「偉いね」「がんばってるね」私はこの言葉が大嫌いでした
だって偉くなんかないから。記憶障害で何度も同じことを聞く夫に「いい加減にしてよ」とか「さっきも同じこと聞いたよ」とかひどいことを言ったこともあります。
ずっと不機嫌な顔をしてたときもあります。だから全然偉くなんかないのに・・・って
でも、私には愚痴を聞いてくれる友達がいました
職場には一緒に泣いてくれた友達がいます。手術が決まったと電話をしたとき職場の人2人でこっそり泣いたと後から聞きました
介護休暇の申請に「仕事のことは心配しなくていい」と言ってくれた課長
「仕事のことは大船に乗ったつもりで任せてください」と言ってくれた後輩
明日から休むと言う前日に帰ろうとする私を追いかけてきて「あんたががんばってることは見てれば分かるよ。いつも明るくして・・」と
涙をいっぱいためて、こんなことしかできないけどとお見舞いをくれた先輩
メールをくれる人もいます。「何もできなくて・・」って言うけどその気持ちだけでどれだけ勇気付けられたことでしょう。
ネット上の友達は「がんばらなくていいんだよ」「泣きたいときは泣いていいんだよ」と私が落ち着くまで話しを聞いてくれました。
私はたくさんの人に支えられているのです。
趣味でやっているゴスペルのリーダーのお父様が牧師さんで夫の病気のことを知り個人的に祈ってくださり、
「神は我々に試練を与えます。しかし、乗り越えられない試練は与えません。必ずや道は開けるでしょう」と
この言葉は私の胸の奥深くに染み込みました。
夫と私は22歳のときに私の親の反対を押し切って結婚しました。病気になるまでの12年間、本当に大事にしてもらいました。私はどちらかというと身体があまり丈夫じゃなかったので家事もしてくれたし、何よりも愛されているというのが伝わってきました。
だからという訳ではないけど、夫が病気になって辛いこともたくさんあるけど、離婚しようなんてことは1度も考えたことはありません。苦労してるねって言われるけど、苦労って思ったこともありません。
こうやって今までの自分の気持ちを書いてみると変化していってるのがよく分かります
その時は一生懸命で気づかないけど振り返ってみると分かるものですね
今は「この人が病気になればよかったのに」とは思いません。
みんな明るく振舞ってても、もしかしたら辛いことがあるのかもしれないと思ったりします。
表に出さないだけでたくさんのことを抱えてるのかも・・と
私も少しは成長したのかな?(^^;)
思いつくままに書いたので支離滅裂な文章になってしまいました
またときどきつぶやくかもしれません
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